自分が変わる時

自分にできること、与えられたことを、ただ真っすぐにがむしゃらに突き進むと
辿り着くところがある。
そこに辿り着くことを当たり前と思っていたのか、それを目標にしていたかも曖昧な場所。
それを必然というのかもしれない。
偶然ではない、その時々で決断して意志を持って辿り着いてきたわけだから。
一方で、確かにその都度決断したが、それが結果こういう形にできあがるという青図は全くなかった。集合的無意識なのか、何か見えざるモノに導かれているのか、このホリスティックな結末は誰が決めたのかはわからない。自分なのか、そうではないのか。。。

前置きが長くなりましたが
昨年1年は私が今まで進んでいた道の延長ではなく、あきらかに分かれ道があって、その分かれ道で
一方の道を選んだ感がある。
驚くほど、新しい出会いがあり
驚くほど、自分の考え方は変わった
周りで起こる様々な出来事も2~3年前とはあきらかに変わった。
そのホリスティックな、大きな流れを自分で決めたという意識は今のところないので、時々後戻りしたいような気分にもなる。
だが、確かに新しい道が前に開けてしまったので、きっと戻っても意味のないことな気もしている。
またこの道をただ真っすぐにがむしゃらに進んでいくのだろう。

陰陽五行説の五行で言えば、木の時期
新しい刺激にワクワクもするが、進む方向性が見えなくて不安な気持ちがいつも周りに存在する。
また、このサイクルがしばらく木→火→土→金→水 と進んでいくのだろう。。

昔を振り返ってみると、私の場合1つの期間にだいたい5~6年は費やしている気がする。
とすると、次の転換期は70歳過ぎ
ってことは今回のサイクルが最後の必然を創り出すサイクルなのか。。。

前回のサイクルの春の時期、今思い出してもたくさんの記憶に残る出来事がありました。
今回はどんなことが起こるのだろう。

この始まりのサイクルは不安で動けなくなる感覚がある。
不安で怖じ気づいてここで止まることもできるのだろう。
でも確実に、止まらなければ、自分が変わっていくのもわかっている。

流れに任せて変わっていこうかなって自分がいる。
不安だけど。。。
でも変わっていく時に捨てていくものの選択は慎重にやろうって思っている自分がいる。

変わるって何度も言いますが本当に不安ですね。
だからこそ人は変わりたいって思ってもなかなか変われない。

もっと積極的になりたいとか
もっと自分を好きになりたいとか
言葉で言うのは簡単だけど、いざ変わっていく過程を歩み始めると本当に不安です。

人が変わること。
自分が変わりたいと心から願う人に
きちんとしたサポートができるように
自分の節目も大切にしていきたいと思って、こんなことを綴ってみました。


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