色々ありまして、新聞が10月から手つかず
読まない新聞がずっと部屋に積み上げられ、その高さが遊に1mをこえてきました。
そのまま廃棄という選択もありましたが
とりあえず全ページをパラパラと斜め読み。
まだその高さは70cmほど残っておりますが、気がついたことがあったので記しておきます。
実はこんなに新聞を読む暇がないのであれば、そして読まずに置いておくのであれば
新聞の定期購読を解約するか。。。
と考えていたのですが、
斜め読みしながら、すごく自分の頭の中が良い意味で混沌としてきました。
それはすごく気持ちのよい感覚。
思えば、新聞がなくてもネットで知りたい情報は読めるし、友人から情報を得る手段もたくさんあるし、なんて考えていたのですが
自分の興味のある情報しか集めていなかったのですね。
それは一見効率的であるかのようにみえますが、
自分の偏りを修正することができないということでもあります。
新聞ってまんべんなく色々な情報があるので、私にとっては興味のないネタもたくさん含まれています。ですが、それは興味がないって思いこんでいるだけで、自分自身にとって様々な刺激を与えてくれます。つまり、自分が気がつかない視点で物事をみる機会が得られるってことです。
比べるものなのかわからないですが、小学校で興味のない科目も学習することが大人になって案外役に立ったり違うものの考え方や柔軟性をもたらすって感覚と似ています。
「断捨離」これも本を拝読しておりませんので、芯の意味はわからない中で考えさせていただきますが、
必要な断捨離としてはいけない断捨離がありますね。
自分が気がついていない一見無駄なものの価値。
それによってもたらされる混沌が新しい閃きに繋がるのだと思います。
もちろんたまった新聞は早く断捨離すべきであります。
間違いなく。。。