嗜好は分散化しているのか

録画してあった「カンブリア宮殿」をみていたときに、村上龍さんが、最近は嗜好が分散化しているから…と話していました
本当に分散化しているの?
日本人は集団の意見に流されやすいという話をつい先日にしたばかりだし、確かにメディアの報道に流されて、それが自分の意見と勘違いしてしまっている人、いわゆる情報操作されてしまっている人も多い気がするのだけどな~
自分の意見を持ち、それを発言することは誰にでもある自由ですが、自由には必ず責任が伴い、発言した意見には責任も伴います
まず、自分の意見を持つには自分を信じることの出来る強さが必要です
自分の感覚をありのままに感じることのできる安定感と言ってもいいのかもしれません
そしてそれを発言する時には、自分の意見が不確かなもので、必ずしも正しくないということを認識しておくべきなんだと思います
その上で、自分の意見を相手に伝えることで、人との関わりの中で大きな化学反応が起きることを楽しめる余裕を持ち
そして、思いどおりにならなかった時に執着しないでいられるたおやかさを持ち
自分が発言したことにはしっかりと責任を持ち
過ちがあったら、それを正す勇気を忘れない
人の思惑に惑わされたり、損得勘定ばかりに目を奪われない
自分の意見を持つということは大変なこともたくさんありますね~
でもそれこそが、生きていくことの醍醐味でもあります
日本という国は、今全体として、本当に嗜好が分散化しているのでしょうか
それが単に他の人と違うことをしたい、目立ちたいという安易な発想ではなく
大人として社会に責任を持つひとつの細胞になるという流れだったら嬉しいなぁと感じています


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