最近、手が強張るという話をしたら、どうやら歳のせいらしいです(・・;)
そこで想い出したのですが、よく母もそんなことを言っていました。
「関節が痛くて、手が強張るから雑巾を絞るのが大変。。。」って
それを何度も聞いていたはずなのに、
私は一度も「大変だね、私が代わって掃除をするよ」って言った記憶がない
20代の自分は元気一杯で、そんな辛さを頭ではわかった気になっていたけれど
本当の意味では全くわかっていなかった。
母はまだ存命なので
次に会った時に「ごめんね」って伝えてみよう。
そしてそんな中で私の為に色々してくれたことに「ありがとう」って伝えよう。
残念ながら母がそれを完全に理解することは今はもうできないかもしれないけれど
でも言わなくちゃ。
こういうことってこれからもたくさんあるんだろうなって思います。
やはり人の痛みをわかった気分になっていても
本当は自分がその場にならないとわからないことってたくさんありますね。
その時その時では一生懸命生きていても
まったく「人として足りていない自分」がたくさん
だからこそ、人の過ちを責めるのでなく
「お互い様」ってサラ~って流していかないといけないですね。
人は知らぬ間にたくさんの罪をおかしているわけですね。
浄土真宗の親鸞上人が説く「悪人正機説」も
そういう意味での悪人っていう解釈もあるみたいです。
ソクラテスの「無知の知」と少し似ている考え方ですね。