私たちに必要な情報

情報戦なんて言葉が色々なところで聞かれ、
私たちは何だかたくさんのことを知ってないと、たくさんの情報があったほうがいい…
みたいな気分になっているけれど、情報って何なんだろうって思うことがあります。

本当に必要な情報だけ得る方が幸せなんじゃないかな。。。
では本当に必要な情報って何なんだろうって。

5~6年前だったと思うのですが、ドバイに旅行した時に感じたこと。

その頃ドバイは建設ラッシュで、今よりもっと街が活気づいていました。
バングラディシュからの出稼ぎの人も大勢いました。
バングラディシュの人は日本のこと、特に日本製品のことを良く知っていて、すごく好意的に話しかけてくれました。
日本製品は本当にすごいね!って。
何だか嬉しくなるとともに、日本ではバングラディシュのことをどれ位ニュースなど情報として知ろうとしているんだろう。いつも欧米の人が日本をどんな風に思っているか、中国や韓国がどう思っているかばかり気にした記事が多い気がするなって思って聞いていました。

欧米や経済的に優位な国の情報が多いのは、経済的にとても重要なことだから。
でもそれって一部の人には重要だけど、全ての日本人に重要なこと?
海外から外貨を稼ぐことが必要であることも何となくはわかるのですが、
私たちの幸せは結局お金だけなの?

綺麗ごとを言っているのかもしれません。
でも情報って一部の利益のためにフィルターにかけられ、限られているんだなってつくづく思ったのです。
インターネットでは自由に各国の情報が手に入るって言いますが、そもそも基礎知識がないので、バングラディシュを積極的に検索する人もそれ程多くはないでしょうし。。
バングラディシュ以外にも私が知らない大切な国はたくさんあるのでしょうね。

こうなってくると、国と国の争いだって、本来は富を持つ人の権力争いに過ぎないもので、私たちがそれにこだわることにどれ位の意味があるのだろう。
私たちの周りに溢れている情報って何なんだろう。

本当に大切な情報は、自分が直接感じられる情報なのではないでしょうか。
例えば、自分の健康に関わる情報。
自分の身体、自分の心、今日の風、今日の湿度、今日の日照、今日の天体、作物の生育…
自然を感じること、自然に関わる情報が大切なんじゃないかしら。
グローバル化って何だろう。。。

バングラディシュからの出稼ぎの人が例の7つ星ホテルをみながら、
「すごい宿泊代らしいよ。一体どれくらいなんだろうね」って
言ったことが忘れられません。
もちろん私たちは知っていました。
その値段が彼らの数ヶ月分の賃金より高いってことを。
でも彼らがそれを知ることが幸せなのか。。そんなことも考えました。

後戻りはできないでしょうが、私たちは必要ない情報ばかり得て、本当に知っておくべき情報を
得られない時代に生きているのかもしれません。


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