雑感性の人々

先日、ジェイク・シマブクロのライブに行ってまいりました
温かくて本当に素敵な人柄、音楽性、雰囲気にドップリと浸れた一日
音楽って不思議
いつも前向きな歌ばかりでなく、切なかったり、絶望したり、汚い感情が芽生えたり、悲しくて仕方なかったりと人間のもつ様々な感情をストレートにリズムにのせて、届けてくれる
受け取った方はそれに共感し、励まされたり納得したり…
考えてみると人間は面倒くさい動物
生きることだけに集中できずに、心は時として悩み傷む
他の動物にも恐れや怒りはあり、必要に応じてそれを記憶するけれど、それはあくまでも生きるため
人間程の激しい波で人生をはかなんだり、何かと比べて悲しい気持ちになったりはしないのではないかと思います
マイナスの感情は誰にでも必ず芽生えるものなのに、こんなことではダメだと思いがちな人間は、音楽や芸術で、みんな同じだよ、みんな悲しいことやダメなときがあるよって確認して安心する
常にパーフェクトである必要もないし、あるがままの自分であればいいのに、人間は少しでも成長したいと思ってしまう。少しでも素敵であろうとする。素敵に見られたいと願う
でも、成長ってなんだろう、成長する必要ってあるのかな…
もし、あるがままを受け入れられたら絶望なんて存在しないのに
でも、人はもがき続ける。だから音楽は人にとってなくてはならないものなのだろう
品川プリンスの水族館にラッキー君といイルカがいる。彼は運動神経が鈍くてどんなに練習しても高いジャンプが飛べないらしい。それが人々の共感を呼び結構人気者
けど、きっとラッキーはあるがままのはず
勝手に人間が自分に都合よく解釈して共感している 
人間は色々な感情を複雑に持ってしまう、雑食性ならぬ雑感性の生き物
そして、それを何とかバランスをとるために色々な方法を作り出す
人が創造した音楽と比べて、自然の香りはどうだろう
絶望的な香りはあまり創造しないかも。
切ないとかものの哀れを感じる香りならまだしも…
そもそも植物には絶望はない
サイクルの中で、個体としては一旦の終了はあるかもしれないけれど、種をつないでいくことだけに生きていく彼らに絶望などあるはずがない
その生命力に力づけられているのがアロマテラピー
思い切りシンプルが故に、とてつもないパワーを発揮してくれることがある
五感の中でも嗅覚はやはり動物的なようである
香りを愛する私たちは、シンプルに、生命力が弱く輝いていないときの自分も、そのまま当たり前に受けとめて、ただ、いのちをつないでいくというところも植物から学んでみるのも必要なんだと思います
枯れかけのスイセンから漂うインドールの香りもまた美しい


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