記憶について

今日も暑い一日です。
銀行で事務手続きを終えて帰宅しただけですが、一汗かいてしまっています。

水分とミネラル補給をして、今PCに向かったところ。。

銀行に行く道すがら記憶についてぼんやりと考えていました。

今鳴いている蝉にはあまり記憶は必要ないんだなぁって考えたのが始まり。
生命の記憶と寿命は関係するのですね。
もし私が1年で死んでしまう生き物だったら、来年のことを考えても全く無意味であって、従って
記憶も短期記憶のみあれば十分ってこと。
でも、私は何もなければ来年もその次の年も生きているわけで、そのためには記憶の役割も大きくなる。
ましては人間は群れの動物の最たるものだから、社会性ってものが必要で、そのためにも記憶は重要となる場面が多い。

こう考えると記憶力があるっていうのはある意味優秀だけど、今を生きにくくなるのかも。
過去に縛られやすくなるっていう意味で。。

こうなったら自分の記憶、いわゆる意識で切る範囲でたまには棚卸ししないとな。
要らない記憶に縛られていることがかなりある。

例えば。。。
小さい時に優秀な兄弟と比べられて、自分はだめな人間だなって記憶は、今となっては全く意味のない記憶であるから、サッサと手放さないと、いつまでたっても自分が自分に駄目な人間ってレッテルをはり続けてしまう。
仮に今も周りと比べて優秀でないとしてもそれを駄目な人間であるという記憶からあまり良い行動が生み出されない気がします。
それをバネにして、一念発起して頑張るのはいいけれど、そもそも駄目だっていうレッテルははられたままだから、どんなに頑張っても満たされない。。

頑張ることはいいとして、まずは自分ではっているレッテルをはがしてからのほうが何か良さそう。

その他にもこんな類いの要らない記憶ってたくさんありそうだな。。

来世があるとしたら記憶に縛られない生き物がいいかな。。。
でもそれは単独行動をしたり、1年で死んでしまう昆虫とかに生まれ変わるしかないのか。。。

うーん。。

もし人間に生まれ変わりたいのだったら、記憶と上手くつきあわないとね。。。


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