仏陀が悟りを開いた時には、大切な家族と既に離れていました。妻子を捨てたとも言われています。
以前は、悟りを開くために大切なものを捨てるなんて理解できない。。と思っていましたが
大切だからこそ、その執着心も強いものです。
それが悟りを開くためには障害となったのでしょう。。。
ここで、唐突ですが結婚と執着心について考えてみたいと思います。
自分と価値観が合う人がいいです!なんて言葉をよく聞きますが、
そもそも価値観が合う人なんて世の中にいるのでしょうか?
合うところもあれば合わないところもあるというレベルではないでしょうか。
結婚とは、異なる部分があったとしてもその異なる部分にお互い大した執着心がない。
もしくは相手がよっぽど全てにおいて執着心がない。
(これは、自分がよっぽど執着心がないでも同じだと思います。)
こんな組み合わせのときに無理なくできるのではないでしょうか。。。
または違う側面から見ると、
価値観の違うところがたくさんあって、何度もぶつかる面倒くさい人なんだけど、
その面倒臭さに耐えられるぐらいその相手に執着している。
これも相手が反対に自分に対して限りなく執着しているため、自分の価値観と異なる価値観
も受け入れてくれると言い換えても同じだと思います。
つまり結婚できる相手とは
執着するところが全く違う。
やたら執着心がない。
やたら執着心がある。
つまりキーワードは「執着心」のような気がしています。
そういう意味では、仏陀は家族にすごく執着する気持ちがあり、そこでは全体を俯瞰してものを見極めることができなかったので、家族と離れることを選んだのではないか。。
決して彼が人間的な温かみがないから家族を捨てることに何も感じないようになったというわけではなく。。。
「執着すること」仏教においてはあまり良いこととは考えられてはいませんが
人間はこの執着心を持ったからこそ助け合ったり関わり合ったりしているのかなと思います。
上手く言葉で表現できませんでしたが、そんなことを考えた午後でした