共感されること

誰でも共感されることは嬉しいです。
自分が人に認められていると実感できるからだと思います。
ですから自分で自分のことを上手く認めてあげることができないときには、誰かに共感してもらうことがとても大きな力にもなります。
Facebookはまさに共感のツールです。
誰かにいいね!って言ってもらえるのはやっぱり嫌な気持ちはしない。

ですがそれに依存し過ぎてしまうと
今度は共感してもらうことに執着するようになる。
そうなるとせっかくのツールもつまらない、むしろストレスになる。
「最近あの人はいいね!してくれない。。」なんて悶々と悩んでしまったりする。

誰かに認められなくても、全ての人がこの世界に存在すべきはずなのに
認められないと、気づかれないと自分を勝手に否定してしまう人が多いのは何故だろう。。

DNAの中に集団欲が組み込まれているからなんだろうか。。

比較して
動物や植物
植物に心があるかないかははっきりしないので、ひとまず動物で考えてみる

人間以外の動物で認められないと自信を失うものはいない気がする。
動物は別の個体に共感することはあっても共感してもらうことに執着することはない。
寂しがりやの犬だって、飼い主に共感する気持ちはあっても、
自分が楽しい→それに飼い主も共感してもらいたい→共感してもらえない自分は愛されていないんだ。。。→絶望的だ
なんて考えることはまずないです。

人間は脆弱で、すぐ誰かに依存したがり、自分の感情を誰かに押しつけたがる自分勝手な生き物だとすれば
動物はきちんと自分のために生きて入るが、依存はしていない。

動物と人間はどちらが本当の意味で賢い生き物なのかな。。なんて思ってしまいました。


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